日記兼独り言メモ


by RightRing
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カテゴリ:まじめな話( 4 )

こんばんわりんぐです。

いや、前にもmixiで鋼錬の話をちょっと書いたけどさ

レビューで星1つとか5つとかつけるわけだ。

そこまではいい

だがアマゾンの場合は問題がある。

xx人中xx人がこのレビューは参考になったと云々

これってさ

ファンはその作品を否定するコメントは参考にならない、という評価を下すわけだ。

でも

アマゾンのレビューという公式な場で、好きな人だけ集まって主観だけで語り合って最高最高と、
そんなんでいいのか?

なぜレビューを書くのか
それはその作品を知らない人に対して、どんな作品かを自分なりの視点で紹介するためじゃないのか。

知らない人にとってはレビューは重要な購入基準になるはず。
ファンクラブの意見交換所みたいな場でいいはずがない。

確かに私も自分の好きな作品を否定されるのは好きではない。
だがそれとは別問題だ。

否定意見の多くが肯定的なそれよりもはるかに明確な根拠を持っている事が多い点からしても、星の数を鵜呑みにするべきではない。
レビューの中からより「客観的な」意見を探すことが重要になるだろう。

否定意見を書くときは勇気がいる。人気があればあるほどリスクが大きくなる。しかしだからこそ、酔いを覚ましてくれるような、痛快で納得のいく批判をしてくれる人を私は尊敬するし、そのようなコメントがさらに増えることを願っている。

もちろん、その作品の問題点が明確でない批判は論外であるが。
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by RightRing | 2006-03-23 19:37 | まじめな話



昨年五月告って振られたことは多くの人は知っていると思うが

それが後々厄介な問題を引き起こしているわけだ。

告ったとき振られるのは覚悟していたわけだから、それ自体のショックというのはある程度軽減されている。




が、




私くらい馬鹿な男になるとそれでは話が収まらない。この時、自分が振られるのは自分が2番だからだと勘違いしてしまう。

後で冷静になって考えてみれば自分なんて2番どころかそもそも眼中に無かったことに気づくわけだが、無意識の錯覚突然に意識したとき本人はそのショックからは完全に無防備だ。
つまり振られたとき以上の失望感に襲われることになる。
ぶっちゃけこれって












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by RightRing | 2006-03-09 00:47 | まじめな話
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・昔々のその昔・・・・



Mに告ったときのことなんだが



まあ電話がかかってきたんだが





彼氏いるから付き合えないよと


それ系のことを言われたんだが



まあ覚悟はしてたというか。



だけどその発言の直後に



「だけどね、ごめんねとはいわないよ!」






・・・・・・・・・・・・・・



その瞬間は一切の平常心と論理的思考能力を失墜していた私にとってはどうでも良かった一言だが



後でよくよく考えてみると




どういう意味ですかこれ?




「勝手に告ってきただけなんだから、謝る必要ないよね?」って意味?




その割には優しいんだが・・・・・・






一年近く悩んでいたが、この言葉の真意によっては私また鬱るよたぶn





本人に聞くわけにも行かないし・・・・




OTL
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by RightRing | 2006-02-23 00:02 | まじめな話

Only.1 と No.1 (前編)

元ネタは、言わずと知れたSMAPの「世界に一つだけの花」だ。

花屋の店先に並んだ
いろんな花を見ていた
人それぞれ 好みはあるけれど
どれもみんな きれいだね


ちょっとまってもらいたい。
それは、人がきれいだと思うものを選りすぐっているのだから、あたりまえだ。


この中で誰が一番だなんて
争うこともしないで
バケツの中 誇らしげに
しゃんと胸を張っている


比較の対象が間違っている。花屋の花は、花の中でも”人気者”なのだ。つまり、サンプリングの観点が”一般の”人間とは全く違う


それなのに 僕ら人間は
どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのに その中で
一番になりたがる?


比較とは、「一人一人違う」からこそ可能になるのだ。
「個性」を得るならば、他と比較される、という宿命を負うのは非常に自然なことではないだろうか。
「比較される」のであれば、当然、自分が優位にたちたいと思うのは、生物として当然である。

さらに歌詞は続く。



困ったように 笑いながら
ずっと迷ってる人がいる
頑張って咲いた花はどれも
きれいだから仕方ないね


花屋の花は大抵、温室育ちだと思うが。
そうでなくても、病気や気象の変化など、さまざまなどうしようもない原因で、花を咲かせることなく消えていく存在は確かにある。
また人間なら、他人を助けるために犠牲になる、という可能性も否定できない。花を咲かせることが、イコール 努力の証ではない。同時に、花が咲かないからといって、努力しなかった結果にもならない。努力を評価するのであれば、これらも考慮に入れるべきではないか。
だがここでは、花が咲いている状態を前提に話が進められている。
この個所は、極めて結果主義的な歌詞だと感じる。


やっと店から出てきた
その人が抱えていた
色とりどりの花束と
嬉しそうな横顔

名前も知らなかったけれど
あの日僕に笑顔をくれた
誰も気付かないような場所で
咲いてた花のように

そうさ 僕らも 世界に一つだけの花
  一人一人違う種を持つ
 その花を咲かせることだけに
 一生懸命になればいい

小さい花や 大きな花 一つとして
    (小さい花 大きな花)
 同じものはないから
 No.1にならなくても いい
 もともと特別な Only one


例え特別な存在であったとしても、希少性がそのまま価値に結びつくとは限らない。
どんなに珍しくても何の役にも立たない、ということは十分に考えられる。




 断っておきたいが、この曲で勇気付けられたり、人生が変わったりした人がいるかもしれない。そのようにこの曲を大切にしている人たちのためにも、この主張が大変価値のあるものである、ということを否定するわけではない。
 だが、純粋に歌詞だけをとれば、想像以上に比喩が脆弱で、その作詞者の本来の主張を表現するにはあまりにも矛盾点が多すぎるのではないか?と思ったのである。

ソース : http://www.momo-mid.com/mu_title/sekaini_hitotsudakeno_hana.htm
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by RightRing | 2005-10-06 03:24 | まじめな話